大学時代、恩師の先生にそう言われた。
今日はそれにまつわるお話。
周りと違うことの違和感
学生時代、周りと感覚が違うことに違和感を覚えていた。
みんな違ってみんないいとは言うんだけど、それでも「一般的にはこうだよね」っていう常識みたいなものはある。
自分のいく道は、学生だった当時、いくらかき分けても茨の道だった。
ぶっちゃけた話をすると、第一志望として考えていた高校受験は失敗した。
自分でいうのもあれだが、中学時代は生徒会にいて、生徒会長までやった経験がある。
勉強は苦手だったが、少なくとも赤点は取っていなかった。
それでも本番には弱い。
本番になると、胃には穴があきそうになり、数時間じっとしている体勢が苦手だった。
どれだけ練習しても、頭の中が真っ白になってしまうのだから、驚き。
大学時代にはラジオ番組制作にも関わっていたが、とにかく本番が怖かった。
今は平気で喋っているけど、やっぱり人前で話すのは緊張するし、原稿を用意し練習しても、原稿を読み上げるのすら、よく噛んでしまう僕の性格。
ちょっと言及されて、すぐ泣いてしまうような感じだったし、でも人前では見せないという変わった美徳があった。
もしかしたら、大学時代の友人や知人は、ラジオ番組制作をして、いろんな人との交友関係があって、大学院まで進学することになったエリートみたいなイメージを持っているかもしれない。
でも、実際は弱虫で特定の人の前でしか、自分の姿を見せず、なんとなく「おかちん」という別のキャラクターを演じていた人と、自分自身含め、接していたのかもしれない。
違うことが楽しくない
だからこそ、人と違うことやっていても、満たされることはなかった。
その瞬間は楽しい。それは間違いない。
けど、イベントが終わった後、番組が終わった後など、ぽっかりと穴が空いてしまうのだ。
だから、穴が空いた部分にすぐ何かを埋めようとする。
そして、半年から1年に1回、身体が悲鳴を上げて、病気や体調を崩してしまうパターン。
よくないと思っていても、ついやってしまうのが、僕の癖。
いつまでも、心の中で、「しんどい」「辛い」「なんで満たされることなく、先の見えない道を進んで要るんだろう」と思っていた。
それでも振り返れば一本の綺麗な道。
そんな話を、大学卒業間近に、恩師である大学のゼミの先生に話すことがあった。
確かに、今まで振り返っても、足元しか見てなかった。
でも、今まで歩いた道をじっくり観察してみると、その時々の出来事は関連性がないけど、確かに一本で、綺麗な道になっているのに気がついた。
そんな道を確かめながら、今日も一歩ずつ、確実に歩んでみよう。
(写真提供:ちーちゃん)
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