世間が括るものをどう解いていくか
世間の風潮として、何事も括っている。
それも自分の中で何かわからないものに対して、「わかりやすい」からという理由だけで、ひとまとめにして、面倒くさい事が起きると、「〇〇だから」という免罪符にしている気がする。
僕の学んでいた教育、特に特別支援教育っていうのはそういうことをしやすい。
それを教えている先生ですら、括って、画一的な指導方法を教えているところもあるから驚きだ。
僕の理想の仕事は「解く仕事」
この前もこういうことがあった。
この人はこういう特性なんだから、こっちがサポートしてあげなければならない。
ごもっともだ。
しかし、それはそういうサポートがしやすい環境を全体で共有して、ある程度カバーできる状態だからこそできるものであって、なんかその人は「〇〇だから」できないと過小評価しているだなって思ってしまった。
障害名だったので、あえて「〇〇」としたが、学校現場でもこういうことがよくされる。
「あの子は、〇〇だから」
そんな本人が望まない世間の「括る」ことが人を苦しめている。
僕の理想の仕事としては、その鎖のような括りつけられたレッテルみたいなものをうまく解きながら、その人の人生に本当に必要な情報を提供していきながら、生きていくことだ。
括る呪縛をどう解いていくか。
これは僕の中でも試行錯誤している途中で、元々校則で縛ったり、用語で括ってしまう教育、特に学校現場ではその呪縛からなかなか解けずに日々を生活している人は多い。
僕は何か意味が見出せないと、動けないというか、大人たちがいう「学校に行きなさい」とか「高校(大学)に行っとかないといけない」みたいな言葉が嫌いだ。
例えば、その高校(大学)に行かないとなれない職業っていうのは確かにある。本人がそれになりたいというなら、全力で応援する📣
例え、途中で夢が変わっても、それは自分が決めた道なのだから、文句はない。
僕もそうだったから。納得できる。
親や先生の呪縛って特に怖く、これだけ社会が変わっている中で、YouTuberやeスポーツプレイヤーというのはなかなか学校現場で将来の夢として声をあげにくい。
これをどうしていくのか。
これもある意味、解く仕事である。
教育は好きだ。というより、子供が好きで、人が成長していくところを見るのも、自分自身がキャリアアップしていく実感が持てるのもいい。
時代は変わりつつあるのだから、時代に合わせた学び方っていうのは必ずあると思ってる。
それが「括ること」と「解くこと」だと思う。
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