紅葉を見ていると、春や夏とは違う落ち着いた色が散りばめられている。
春の代表格の桜は散ると、寂しかったり終わりのイメージが大きいものの、秋の紅葉は落ちていても味わい深いものがある。
子どもの頃は近くの公園とかで、焼き芋がやりたくて、どうやって火をつけようか模索している時期があったような気がする。
ライター落ちていないかなとか、木々をこすり合わせて火を起こせないかなって。
そうしていると、秋にはお祭りがあったりして、近くの神社で餅まき、お菓子まきに執念を燃やしていたような時期もあったなと振り返る。
夏祭りとは違って、秋祭りのいいところは自分が住んでいる地域を回って、和風版ハロウィンしているような感覚になれるところだ。
自分が住んでいる地域のお祭りは半日ぐらいかけて、家の前にある紙を取って、竹にくくりつける。
今でもよくわかっていないのだが、各家の前にいくと、「リョウテセー、モチトスセ、ホンギマリ~。おめでとうございます!」って言っていた。
小学校は行った時には、後ろの方で神輿を引っ張る(紐を持つが正しいかも)ことしかできなかったのだが、小学校高学年になると、列の先頭を歩いている太鼓が叩けるのがうれしかった。
途中お昼ごはんなんかも食べて、残りの家を回るのと、神社につくと、ビンゴ大会や餅まき、お菓子まきがあった。
いかに会場のステージ前に陣取っているのかが大事で、あとは子どもながらにして、変わっているなって思っていたのは、お菓子を巻く地域の人に、普通に交渉していたことだ。
「ちょーだい!」「こっちにも!」なんて、声を張るのが普通なのだが、あの時から先に親切を配っていた気がする。
親切については詳しく書いているので、こちらから👇
https://note.com/embed/notes/n8c5e1e6ddfaa
とにかくいろんなことするの大好きだったし、おじいちゃんおばあちゃんっ子っていうこともあって、割と何をしたら喜んでもらえるのかわかっていたような気がする。
ある意味、餅まきが始まる前から、「あの子に多く持って帰ってもらおう」という気持ちにさせていくのが大事だと思っていたので、すすんで行動だけはしていた。
当時はまだ小柄だったので、なかなか取れない札のような紙を、地域のおじちゃんに肩車してもらいながらとったり、下級生に声をかけたり…。
(小学校6年生で150cmあるかないか)
お祭りで神様とかをまつることが大事なのに、それ以上に他人に気を配っていた気もする。
それでさっきの話に戻ると、餅まきで自分があまりもらえなかったりもする。その時に、まず自分の話はせず、同じように餅がもらえなかった下級生の子にあえて、餅を一つ渡す。
当然その子は嬉しがるし、低学年の子だと保護者も一緒に参加しているので、めちゃめちゃ喜んでもらえる。
それで、近く集会所で一度全員集まってから解散をするのだが、そこで一人一つずつお菓子セットがもらえる。
地域の人はとても親切なので、色々聞いてくれる。
今、考えると変わった人間だよなって思うけど、正直な話、お菓子の方がめちゃめちゃ好きだったから、この方法ってよかったのかなって思う。
この話、地域の人も親切なんだけど、餅を配ったことによって、下級生の保護者が話をしてくれるんです。
冷静に考えると、僕があげたのは餅一個だけなのに、結果的にはそれ以上に報酬が戻ってくるという経験を、小学校時代に学習したからこそ、今こうやって、人に親切にすることがのちのちの人生を豊かにするってことにつながっているんだろうな感じました。
秋って言うのは、春のバタバタ感とは違って、少し余裕が出てくる季節であり、人の優しさや温かさが実感できる季節になります。
あなたも一つ、人のために優しさ一つ配ってみませんか?
(写真:七実さん)
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