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無理だと言われた広大大学院進学、でも諦めなかった理由

「広島大学大学院?無理に決まっている。」

「今から就職活動に切り替えたら?」

そんな言葉を投げかけられながらも、僕は広島大学大学院教育学研究科への挑戦を諦めませんでした。

本記事では、広島土砂災害をきっかけに教育の道を志した僕が、広大大学院進学を目指してどのような困難を乗り越えてきたのかをお話しします。

この記事でお伝えするのは:

• 広島大学大学院を目指した理由
• 周囲の反対をどう乗り越えたか
• 振り返ることで見える「人生の線」

5分ほどで読めますので、これからの人生を見つめ直すきっかけになれば嬉しいです!

目次

広島土砂災害が僕に教えたこと

昨日の記事では少し真面目な話をしましたが、今日はその続きをお話しします。

広島土砂災害で悔しい思いをした僕は、「子どもたちの心に寄り添える存在になりたい」と強く思うようになりました。

でも、当時の僕には教育や心理に関する専門知識もスキルもありませんでした。

広島市特別支援教育アシスタントとして中学校のボランティアをしたり、さまざまな活動に参加してみたりしましたが、なかなか手応えが得られず、もどかしい日々が続きました。

そんな時、お世話になっていた先生から「勉強会に参加してみないか?」と声をかけられたんです。

「うちで勉強してみない?」その一言が変えた未来

その勉強会には教育学部の学生や教員が集まっていて、メディアビジネス専攻だった僕が参加するのはかなり異色でした。

最初はみんな驚いていましたが、僕が経緯を正直に話すと、大学院でお世話になることになるゼミの先生がこう言ってくれました。

「うちで勉強してみない?」

その一言がきっかけで、広島大学大学院を目指すことを決意しました。

反対の声と戦いながらの挑戦

広大大学院進学を目指す僕には、多くの反対が待っていました。

「わざわざ広島大学大学院じゃなくてもいいのでは?」

「メディアビジネスを専攻していたのに、普通に就職すればいいじゃないか。」

なんで経済から教育学?

それもそうですよね。

他大学に行くのももちろんですが、当時経済学部に所属していた人間が、教育学研究科に進もうって専攻まで変えようとしているのですから。

それでも僕は諦めませんでした。

しかし、受験は想像以上に厳しいものでした。

大学4年生の9月に前期日程を受験しましたが、不合格。

就活もしておらず、大学院合格の保証もない中、不安が押し寄せました。

さらに気分転換で参加した野球で右手薬指の第一関節を骨折。

文字を書くのも難しくなり、追い詰められた日々でした。

おかちん

本当にこの時だけは踏んだり蹴ったりな人生だと思いました。

それでも諦めず、2月の試験に挑みました。

点が線に変わる瞬間

結果は…無事合格!

合格発表の日の喜びは今でも忘れられません。

学部時代のゼミの先生がこんなことを言ってくれました。

「おかちんの人生は、点で見るとバラバラかもしれない。でもこうして振り返ると、一つの線として繋がっているじゃないか。」

その言葉に、今までの経験や出会いが全て意味のあるものに感じられました。

人生を振り返ってみませんか?

皆さんも今一度、自分の人生を振り返ってみませんか?

その時は「点」に思えたことが、実は「線」として繋がっているかもしれません。

次回は、大学院での濃い話をお届けします!お楽しみに。

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